分業で着物を染める「シェアーワーク」な産業

一反を染める工程は、京都を中心として分業でその工程を完成させていった。反物も産地から仕入れる間に問屋を通し、仕入れてからも長い工程が待っている。

手描き友禅なら、柄を絵師から購入したり自ら絵を描き下絵を完成させ、柄部分を完成させる。そのあとは引き染め/蒸し/水元を専門に行う業者に発注して、全体の地色部分を染める。その後湯のし加工業者へ反物をは渡り、つやつやのアイロンをかけて完成する。これだけでも分業で成立していた事がわかる。ある意味ワークシェアーをして仕事をなるべく多くに人に発注して全体の売上をシェアーしていたと思える。しかし、マーケットが縮小すると、加工業者が廃業する度に他を見つけなければない分業の仕組みはがたがたと崩壊する。その意味で二葉苑はあらゆる事を自前で行う事で継続できる体制を整えていったといえる。

しかし、新宿にはまだ分業体制が残っており、現在もなお活動している。その詳細は新宿区協議会のページでも紹介されているがここでは染の種類とそれを支える業種について紹介しよう。

 

東京染小紋

東京染小紋の基調は、江戸時代の武士の公服であった裃に求められます。当時の大名たちは、各々趣向をこらして自家の柄を取決め、                     そのデザインを競ったと言われていますが、小紋の名が示すとおり、微細な模様を単色で染めあげる粋な味わいは、身分や次代をこえて                   広く一般の人々に愛されるようになりました。
小紋という名称は、柄の小さな型染の着物という広い意味で使用されることが多いのですが、東京染小紋は、鮫小紋などといわゆる江戸小紋の
名で親しまれてきたものの系譜を継ぎ、江戸文化の名残りを今に伝えています。小紋は総柄の総称、江戸小紋はその中でも系譜を繋いだものと言えます。

江戸更紗・紅型
きものの式礼服(紋付き)更紗がはじめて我が国に渡来したのは、室町時代の中期のころといわれている。
インド、タイ、インドネシアから輸入されたものを真似て染めはじめたのが最初であり、江戸時代の末期の頃、
江戸で型摺りによる秀れた更紗師が現れ、江戸更紗の名が知れ渡ったと伝えられている。インドでは木版で更紗を染めるの一般的です。
しかしより仕上がりの良い染にこだわった職人により型紙に起こし直され、江戸更紗は現在に受け継がれている。鍋島更紗は木版と型紙摺りの融合。
型紙の枚数は300枚を超えるものあり色数も多く華やかであでやか。二葉苑では30枚程度の型紙を20枚程度に減らして染め上げたり、
地型紙を使わず引き染めにしてニュアンスを変えたりして、現在の消費者の嗜好に合わせた染を工夫する。

東京無地染・浸染
材料及び必要な染色助剤を水に溶解して染浴を調整し、その中に白生地を浸し適当な温度、時間を与えて染め上げます。
染め上げられたものは東京無地染と呼ばれております。浸して染めるため同じ色の反物を同時に何反も染める事が可能。                            浸染は草木染などでも使うが草木の場合は煮る事が多いがそれは違い、常温の水で染める。

引染
友禅、小紋の糊置きした生地を豆汁、布海苔で地入れを行い、乾燥してから染料液を刷毛 引きで地色に染めます。
特に作業場の温度、湿気に気を使い、一反の布を一気に仕上げます。引場を持つ染工房は少なく、二葉苑では更紗の引き染めの融合した染が得意
12m~13mを15分から20分程度染め上げ、途中で止める事は出来ない。色見が変化するからで湿度管理は難しい。
糊が伏せてある場合などは乾燥しても湿気ても染料が入り込み滲むので繊細な温度/湿度管理が必要
堰出し工法が得意な二葉苑では、糊伏せをして引き染めで染め上げる事が多い、浴衣の体験などではこのような工法をすることがある。

江戸刺繍
我が国に現存する最古の刺繍は飛鳥時代の縫い仏です。その後、装飾としての刺繍が平安時代以降登場し、
江戸時代には町人の衣類にも刺繍が施されました。絢爛豪華なきものを次々とうみだした江戸刺繍は江戸の繁栄と共に降盛を続けました。
日本刺繍には京風、加賀風、江戸風などがあり、江戸刺繍は図柄を置くときに空間を楽しむような刺繍の入れ方をするのが特徴です。
刺繍には、直線的な模様表現の刺と曲線的な模様表現の繍があり、友禅模様又は、無地のきものや帯に刺繍をして立体的な美しさを表現します。
二葉苑の二階では和刺繍の講座を持つことあり、糸の撚りから入る和刺繍は根気がいる。

東京手描友禅・糊画
華麗な模様を誇る手描友禅は、江戸時代、京都の宮崎友禅齋によって大成されたと伝えられています。その技法が江戸に導入されると、
京の雅に対して江戸の粋を生かした図柄と色調が生まれ、それが今の東京手描友禅にうかがわれます。
東京手描友禅は、京友禅、加賀友禅と技法、工程は同一ですが、構想図案から下絵、友禅さし、仕上げまで、模様師の一貫作業であることが特徴です。
このことは模様師の個性が発揮できることにもなり、東京手描友禅のさらなる魅力に繁がっております。一反の白生地が、
一品ものの友禅になるまでにさまざまな作業があり、その一つ一つに伝統の技がいき続けています。

洗張
仕立て上がったきものが汚れたり、寸法が合わなくなったりしたときにきものを解いて洗い、布海苔張りなどの加工をして仕立てに備えます。
二葉苑の線路を挟んでの目前には洗い張り屋さんがあり、商品が仕上がると干される工程を窓から確認して、引き取りもした。しかし現在は
廃業して住宅になっている

手描紋章上絵・紋糊
きものの式礼服(紋付き・留袖など)には、家紋が入っています。この家紋を、分廻し(古来からの竹製のコンパス)や極細の筆を
使い精密に墨描きすることを、「上絵(うわえ)」といい、その職人を「紋章上絵師(もんしょううわえし)」といいます。
初めは染物の分業として上絵師がありましたが、江戸時代中期から後期にかけて、紋章の上絵師として専業化したとされています。
現在は刺繍紋も流行しており、また変わり紋といって、ご自分のデザインした紋を入れる事もある。
以前にお客様ではご自分でデザインした、バックの販売屋号の紋を着物に入れる注文もあった。現代に文化をアレンジしながらその心と
技術を継承していく東京のおしゃれ術には驚きながら尊敬することもある。お客様から教えてもらう事も多い。

染色補正
小紋や友禅の最後の仕上げとして染めの斑を修正するものと、しみぬきをするものがあります。
また、着用したときに付いた汚れも落とします。

 

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