親方制度
職人とは
染職人の定義もあいまいです。何が出来るようになると染職人なのか。
二葉苑は変わっている工房といえる。引き染、更紗の摺り、糊伏せ、蝋伏せ、水元、蒸し、全部行うが、全工程を行う工房もそう多くない。江戸小紋はしごきという工法で染める方法もあれば、防染糊の上を引き染で染める工法もあるので、方法も様々。
挿し色を入れて染めていく方法もある。しかし、その業務だけできたのでは、職人とは当苑では呼ばない。しかし、染は分業によって成立しているので、ある部分的な作業が出来る事で専門性に特化した職人として成立もする。
工業化とは~手染めにこだわった工業化は出来ないのか
生産性を大きく上げたのが動力を使用し、機械的に物を生産する「産業革命」なのは、子供の頃教科書で習う。しかし、工業化に乗らず、手作りに拘った生産をし続けてきたのが、「着物」の「染」。毎日工業化による生産性のアップを目指したい目指したいと考えながらもできない現実がある。
染の工程はどんなものか。詳細はこちらをご覧下さい。染の工程
染物屋さんと染色工業は違う。
一般の人々にとって染色業は手作業な染物屋のイメージが強い。しかし染物屋さんでなく、近代的な染色工場の集合組合もある。その場合は当苑のような染工房とは大きく異なる。当苑のような染め物屋さん,伝統工芸分野の染色として世界に誇る技術を有し、数多い分野の人々からその手工芸の技術を評価される。それに対して染色工業の先祖は中世で確立した染め物屋さんの技術から進歩、発展しました。この歴史的経過について、紹介すると次の通りです。ヨーロッパにおいては、18世紀に英国で発生した産業革命で家内工業的染色と、近代的染色工業へ分化しました。1856年に英国のパーキンという人が合成染料のモーブ(赤紫色・塩基性染料)という色を発明したのが、ヨーロッパの近代染色工業の始まり。日本では明治以降、家内工業的染色は手工業方式とヨーロッパ方式の近代的染色工業へ分化、発展した。
労働問題
生産性を上げ、手作業を残しながら、工業化ではなく生産性を上げる方法はないにか。この疑問は毎日毎日当苑では考える。職人一人が一人前になるには10年の年月が必要。それも生産量が多ければ短い時間で場数を踏んで経験値を上げることも可能であろう。しかし、年間の製造が100反程度ではとてもとてもチャンスが少ない。経験値により腕を上げるのが、家内工業の特徴。だとすると経験値を増やす方法はないのだろうか。
さらに労働の対価として労賃が低い。これも大きな問題である。なんとか賃金を上げたいと考えていても売り上げから経緯である、光熱費用、染料代金、糊、生地代金、地代を支払うと本当に少ない利益をみんなでシェアーする事になり、賃金が上がらない。
この問題が後継者不足を招いていることは明らかであり、今後と経営課題である。
さらに正社員で働く事はなかなできない工房が多い。二葉苑では働く全員が正社員である。その分職人といえどもなんでも行う。デザイン、型彫、染、蒸し、水元なんでもだ。かなり珍しい工房である。教室の運営も、体験の運営も売り上げが立てばなんでも行う。しかしここで、生き詰める。のこままで良いのかと。腕を上げて上を目指すのか、それとも安い給料で正社員で働くのか。
このような環境の中、揺れる心を持ちながら働いているのが、現状である。